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技術と時間1 −エピメテウスの過失
ベルナール・スティグレール 著 石田英敬 監修 西 兼志 訳
法政大学出版局 2009年7月刊 4,200円(税別)
ISBN
4588120727
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(内容紹介)
ポスト構造主義の次世代を担うスティグレール、待望の主著、邦訳はじまる。
プラトン、ハイデガー、フッサール、デリダ、ルロワ=グーラン等の議論を丹念にたどり、かれらと対決しながら、技術を哲学の問題としてとらえなおす。
(ベルナール・スティグレールについてはこちらもご覧ください)
・05年シンポジウム「技術と時間 ハイパー産業時代に立ち向かう哲学」
・07年シンポジウム「〈愛好者 Amatorat 〉をめぐって」
(本書「監修者のことば」より抜粋)
ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler 1952- )は、現代フランスを代表する最も重要な哲学者である。本書は、彼の主著『技術と時間』シリーズ(全5巻を予告、現在までのところ第3巻まで既刊)の第一巻『エピメテウスの過失』(1994) の全訳である。これ以後、それぞれ独立した著作とはいえ同シリーズの第二巻『方向喪失』、第三巻『シネマの時間と難-存在の問題』の邦訳も順次刊行されることになる。フーコー、ドゥルーズ、デリダ、リオタール、ラカン、アルチュセール、20世紀後半には百花繚乱を呈したフランス現代思想だが、ポスト構造主義の次の世代が、どのような新しい知の地平を拓きつつあるのか。これまでエッセーや対論の邦訳はあったが、スティグレールの哲学的主著を日本の読者に送る日が来たことは喜ばしい。[中略]
本書を読むならば、フッサール現象学とハイデガー存在論をベースに、博士論文指導教授であったデリダのグラマトロジーを手がかりに、アンドレ・ルロワ=グーランの先史学を存在論的に定式化し、ベルトラン・ジルの技術史を捉え返し、ジルベール・シモンドンの技術哲学を継承発展させることで、広い文明論的なパースペクティヴのなかで、ヒトの存在の問いを問い直すスティグレールの姿が明らかになるはずだ。哲学の起源にまで遡って、「技術」と「存在」の問いを練り直し、「哲学」全体を問い直す作業に、本書全巻が充てられているのである。詳細は西兼志による「訳者解説」にゆずるが、そこから、第二巻『方向喪失』、第三巻『シネマの時間と難-存在の問題』における、現代技術をめぐる考察、精神のテクノロジーや意識産業に関する問いが準備されていくのである。[中略]
伝統的には文科系に分類されがちな哲学者にとって、現代テクノロジーの問いのなかに身をおくことはなかなかかなわない状況である。しかし、テクノロジーや産業の問題に向き合うことなしに、現代文明について有効な哲学を企てるなど不可能である。今日、洋の東西を問わず、情報メディアやテクノロジーの回路から遮断された、哲学や人文学の研究が陥っている閉塞状況を見れば明らかであろう。
しかし、スティグレールはちがう。
テクノロジーの素養をもち、先端的な工科大学において工学者や認知科学者、コンピュータ科学者とともに1980年代から学際的な研究チームや研究プロジェクトを立ち上げてきた。ミッテランによる新しい国立図書館の電子アーカイヴ化構想を先導したのちには、さらに国立視聴覚研究所(INA)や音響と音楽研究所(IRCAM)といった、視聴各分野での国立の中心的な研究機関で、副所長や所長の要職に就いて、研究開発の体制を確立し、アーカイヴや映像音響分析のシステムづくりを指導し、人材養成の機関を立ち上げてきた。現在はヨーロッパ最大の文化施設であるポンピドゥー・センターの研究開発部長の任にあり、映像分析や認知テクノロジーの研究開発を行うリサーチ&イノヴェーション研究所(IRI)を創設して所長を務めている。
こうした中心的な研究機関で研究開発を主導してきた経験が、現代テクノロジーについて他の人文系哲学者の追随をゆるさない、圧倒的な洞察の拡がりを彼の仕事に与えているのだ。
国家や産業の研究開発や技術革新の中枢に身をおくこと、研究機関の長として行政の責任を引き受け大がかりな制度改革に参画すること。こうした実践は、哲学者を書斎の人から、「知の建築家」に変えることに通じる。しかし、思い起こしてみれば、それこそが、真にギリシャ的な意味での「哲学者」なのである。
だからこそ、この哲学者が放つ文明批判の射程は大きく、現代文明への警鐘は鋭く深く響いている。決して技術やテクノロジーを跪拝したり解説したりするのでなく、技術文明をもたらした哲学的「決定」を明らかにし、その限界と行方を問おうという、まさにオーソドックスな哲学の問いがここに問われているのである。 [後略]
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(主要目次)
著作全体への序論
【第一部 人間の発明】
序
第一章 技術進化の諸理論
1.一般史と技術史
2.技術システム
3.経済・社会システムとの関係における技術システム
4.技術システムの限界
5.発明のプロセスにおける合理性と決定論
6.発明と技術革新
7.産業的投資:技術システム、経済システム、国家装置の複合的進化
8.絶えざる技術革新:技術(テクネー)と知(エピステーメ)の新たな関係
9.技術の普遍性
10.人間と物質の連繋
11.傾向と事実
12.民族的差異と技術的差異化
13.起源としての地理と「統一化」としての民族的才
14.テクノロジーの力動における内的・外部環境
15.傾向の二つの側面
16.内部環境を溶解させる要因としての技術的環境
17.進化の永続性
18.産業的技術の進化が課する人間論理的仮説の放棄
19.産業的対象の具体化のプロセスの科学としての機械学
20.機能する物質としての産業対象の発生論
21.産業社会の生成における技術の優位
22.対象の生成の予測不可能性
23.産業的対象の変異、系統、自然化
24.先取り、連結環境の誕生の条件
第二章 技術論理(テクノロジー)と人間論理(アントロポロジー)
1.時間の問いとしての技術の問いの逆説
2.技術(から)の問い
3.自己破壊としての人間の天体化と人間の潜勢力
4.介入の問いとしての技術:傲慢と尺度、天体と天災
5.技術論理=テクノロジー
6.人間論理
7.『メノン』から『パイドロス』、そしてルソーまで:形而上学
8.ルソーと人間論理
9.平等、力、差異
10.起源のありえなさ、自然の声(「解くこと」が意味するもの)とカライブの想起
11.創造以前を考えること
12.足と手
13.手許にすべてを持つこと
14.自分の全体を身につけていること
15.第二の起源
16.隔たりの内側:可能性
17.差異は理性、理性は死、死はその先取り
18.「これほど大きな間隔を踏みこえること」
19.第二の起源、再び
第三章 「誰」? 「何」? 人間の発明
1.人間の差延
2.すべては足から始まる
3.先行と遅れ
4.骨格、道具連関、脳
5.「技術的意識」と先取り
6.技術的差異化の二重の起源
7.道具の産婆術
8.またもや第二の起源
9.準人類の言語
10.切断の記憶
11.個別言語的無差異
12.既に現に、差延、後成系統発生
13.「誰」と「何」
【第二部 エピメテウスの過失】
序
第一章 プロメテウスの肝臓
1.健忘症者の忘却
2.死の論理(タナトロジー):手前に何も持たないこと
3.みずからの外部
4.誕生と不確実性
5.エピメテウス、愚鈍なるもの
6.「共同性なきものの共同性」
7.肝臓
第二章 既に現に
1.用具的条件
2.エピマテシス:伝統
3.知の統一と手許の「何」の重み
4.「今」を持続的に固定すること
5.プログラムと非蓋然的なもの
6.知と後退
7.ブランクジェネレーションのリアル・タイムの時計
8.固定と規定
9.個体化する
10.存在の歴史の差延化された時間
11.存在の代償
第三章 「何」の脱離
1.「何」の脱離としての日常性の分析(第一部)
1.1.「誰」と「何」の差延
1.2.日常性における「誰」と「何」の混淆と世界内存在における予期(エルピス)としての配慮
1.3「誰」による「何」のシステムの前(把)握としての手
1.4フッサールの想起概念と送り返しとしての「何」のシステム
1.5ハイデガーの開離する忘却
1.6「何」のプログラムとしての中立性
1.7「心像意識」としての道具
1.8.みずからの外部の個別言語の配慮する(ことのない)愚鈍さと死の分節
2.「何」への嵌入としての過失存在の構造
2.1.あらゆるプログラムのありうる中断のプログラム化としての欠失存在
2.2手の手法と「何」の無-限性
2.3.呼び戻しとしての反復―他者の発明
2.4科学の道具と手
3.「何」の新たな配置としての歴史性の歴史的構制の問い(第二部の最後の二章)
3.1世界-歴史的「何」の二次性
3.2第三次想起の忘却としての世界-歴史的なものの平準化
3.3.代補の正確さと再現
3.4正確さと可能性
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