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現代思想の地平 →Amazon.co.jpで購入 →ジュンク堂で購入
石田英敬 著
放送大学教育振興会 2005-03刊 288頁 定価3,150(税込) ISBN
4595305532
私たちは21世紀の初頭という見通しのききにくい、歴史的にも政治的にもそして思想的にも困難な世界を生きている。しかし、そのような世界に自分たちがあることの条件を、いまいちど静かに考え、より深く問い直してみたいと考える人たちに向けて、思想の言葉がいまあらためて語り始められなければならないのだと私は考えています。この本は、まだ、そのような本質的な<思想の書>というわけには残念ながらいかないのですが、しかし、私の講義が、そしてこの本が、そのような<思想の問い>に一歩でも近づくためのエチュード(練習)なのだ、と思っていただけたら、講義の講師として、そして著者として、それほど幸せなことはありません。(「まえがき」より抜粋)
※ 本書は放送大学2005年度開講講義「現代思想の地平」のテキストです。
※ 本書の一部を試読できます。
■ 目次
まえがき
1章−「現代思想とは何か」 -イントロダクション-
「現代思想の地平」とは・・・
「知の条件」を問う
4つの「ポスト状況」
「ポスト・グーテンベルク状況」
「ポスト・モダン状況」
「ポスト・ナショナル状況」
「ポスト・ヒューマン状況」
「人間の変容」と「現代思想の問い」
2章−「言語の世紀」の問い -ソシュールをめぐって-
記号とコミュニケーションの理論
ポスト・グーテンベルクの知
ことばの回路
脳のモデル
記号学の提唱
「記号」の概念
記号のシステム
パラディグム(範列)/サンタグム(連辞)
ソシュール革命と20世紀の知
20世紀の記号生活
ソシュールの位置
3章−記号とイメージの時代 -パースと現代記号論-
パースの記号論
セミオーシス(記号過程)
記号代替説
記号解釈と記号分類
記号解釈の三項図式
パースの「記号分類」
アイコン(類像記号)
インデックス(指標記号)
シンボル(象徴記号)
普遍記号論の思想
人工記号とコンピュータ
記号と生命
補論:「生命記号論とは何か」
J.ホフマイヤー教授インタビュー(抜粋)
4章−無意識の問い -「フロイトの発見」以後-
「無意識」の発見
1900年『夢判断』
主体のモデルと「局所論」
フロイトの発見の射程
理性と非ー理性:「分裂した主体」と「知」
「分裂した主体」
理性の「無意識」を聴き取る
フーコー『狂気の歴史』
イデオロギーと主体
主体とは何か 自我の明証性への懐疑
技術的無意識
5章−文化の意味 -「構造主義革命」以後-
構造主義とは何か
世界化する知の運動
構造主義の文化理解
文化の概念
言語の問題
象徴交換と社会
神話論理
システムと構造
構造主義と現代社会
今日の神話
意味のブリコラージュ
現代のコミュニケーションと神話作用
6章−「欲望とは何か」 -欲望と主体-
欲望と意味
ほしいものがほしいわ
欲望とモノ
欲望の論理
欲望のシニフィアン
シニフィアンは、主体を他のシニフィアンに対し代表する
欲望の真理:メタファーとメトニミー
欲望と他者
他者の欲望
鏡像段階
欲望の光景
現代世界と欲望
7章−「権力と身体」 -権力と主体化-
権力とディシプリン
フーコー『監視と処罰』
「権力」の問題
「ディシプリン」と「身体のテクノロジー」
規律型社会
知と権力
パノプチコン(一望監視装置)
道徳的秩序
近代日本の「規律型社会」
学校と「規律」
「規律」の社会配備
コントロール型社会
規律型社会の危機
コントロール型社会
8章−「社会とは何か」 -象徴闘争と社会場-
階級と象徴支配
社会学者の仕事
文化資本と階級
社会場の論理:「ハビトゥス」と「場」
「ハビトゥス」
「場」
象徴闘争と創造戦略
「学校」と「身体化された歴史」
「ディシプリン」と「ハビトゥス」
大衆化社会と「社会的判断力」
9章−情報とメディアの思想 -「メディアはメッセージ」-
メディアとは何か
「メディア」という言葉
メディアの定義
記号媒質の成立
「メッセージ」の定義
「情報」の定義
メディア技術と人間
「技術」の問題
マクルーハン「身体拡張説」
「感覚比率」論
脳の延長としてのメディア
メディアの文明圏
『グーテンベルクの銀河系』
メディアはメッセージ
グローバル・ヴィレッジ
10章−文化産業と想像力 -想像の未来-
「イマジン」を手掛かりに
2001年9月11日
Imagine(想像する)
「想像」と「未来」
「文化産業」
想像力の問題
「意識」の存立構造
時間意識と記憶
イメージ
イメージの外在化
イメージの時代と文化産業
メディア革命と「想像力」
想像力が産業になった社会
「象徴的貧困」の進行
WAR IS OVER IF YOU WANT IT
11章−「戦争について」 -戦争はなぜ終わらないのか-(西谷修・石田英敬)
「戦争」とは何か
「戦争」という概念
「戦争をする」vs「戦争はいやだ」
共同体の神話
人類の普遍的課題
近代戦争の歴史
世界史と戦争
主権国家間の戦争
国民の戦争
産業化と植民地
世界戦争の時代と現代思想
世界史の弁証法と世界戦争
理性の隘路(アポリア)
グローバル化と非対称的戦争
戦争が腐乱していく
戦争はなぜ終わらないか
12章−「宗教について」 -宗教の回帰を問う-(西谷修・石田英敬)
回帰する宗教
「宗教の回帰」
イスラーム革命の衝撃
アメリカの原理主義
合理化と宗教
「世界の脱魔術化」
<宗教的なもの >と<政治的なもの>
死と有限性
宗教とは何か
「宗教」というターム
内面と自由
「ドグマ人類学」
13章−ナショナリズムと国家 -ナショナリズムを克服する(小森陽一・石田英敬)
「国民国家」の問題
夏目漱石:国民国家と戦争
「日本的なるもの」の発明
ポスト・コロニアルの思想
マス・メディアと「想像の共同体」
東アジアからの批判的視座
漱石にとっての「文学」
ナショナリズムをいかに克服するか
<ナショナルなもの>の危機とナショナリズム
国民国家の変容と「憲法改正」問題
14章−差異と同一性の共生原理
-ジェンダー、マイノリティ、クレオール、マルチチュード-
現代思想と実践
実践(Praxis)の問い
ジェンダー
マイノリティ
クレオール
マルチチュード
現代思想はいかに世界を変革したか?
差異の思想
文化の恣意性
自然と文化の区別
構築性の問題
複数性の論理
差異と同一性の共生原理
「象徴支配」に自覚的になる
ポリフォニックな共生
「もうひとつの世界」
15章−総括と展望 -新しい人文知のために-
20世紀知の問題圏
あらためて、「思想」とは・・・
「総合知」は、今どのようなかたちをしているのか
世界をラディカルに問う
総合知の歴史的位相
<来るべきユマニスト>の条件: 新しい人文知のために(一部を試読できます)
「知の大空位期」
<来るべきユマニスト>の条件
「考えるネットワーク」としての<人間>
「非統合的な総合知」
読書案内
■
<来るべきユマニスト>の条件
( 「15章 総括と展望 新しい人文知のために」より抜粋)
1.
まず、<来るべきユマニスト>は、メディア横断的な知を実践する者でなければならないでしょう。
すでに述べたように、「人文知(フマニタス)」こそ「グーテンベルクの銀河系」を基礎づけた知であり、文字・活字・書物をメディア基盤とした知の体系こそが近代の文明を生み出したことはよく知られています。他方、私たちが見てきたように、「ポスト・グーテンベルク」状況は、今日の文明がもはや活字を単位としたメディア基盤だけには依拠していないことを表しています。であるとすれば、<来るべきユマニスト>とは、文字と書物の知を依然として基礎とすることに変わりはないとはいえ、他のメディア、他の記号技術のつくりだしてきた「メディアの成層」をも基礎とした知の持ち主でなければならない。彼/彼女は、いわゆるマルチ・メディアの知、横断メディア的な知を実践することができなければならないし、文字以外の「記号」・「情報」を認識の契機に含みこんだ知の持ち主でなければならないでしょう。本書を通した私たちの講義の流れからいえば、記号学や記号論、情報学やメディア論が、「拡大された人文知」の主要な部分として組み込まれなければならないのです。
2.
次いで、<来るべきユマニスト>は、ポスト・モダンな「理性への懐疑」にとどまることはできません。また理性批判のシニシズムに陥るべきではありません。彼/彼女は、ポスト理性の時代の「理性」の復権というパラドクシカルな「理性批判」の実践者でなければならないのです(しかし、おそらく、それこそが、真の意味での「理性批判」でもあるといえます。なぜなら、カントが言うような「批判」とは、「理性」とは何かを知ることであると同時に、その限界を画定することでもあるからです)。
<来るべきユマニスト>のめざす「理性」は、「知」による統合と統御の限界を知り、「全体化」の不可能性についての認識でなければならないでしょう。それが「ポスト・モダン」という近代的理性への懐疑から得られた教訓だからです。今日、「理性」とは、ヘーゲルにおけるように知の全領域を全体的に体系化するものではなく、むしろ「間(あいだ)」(=インター
inter)の知、「インタフェースの知」、「横断的な知」として、立て直されることを求められていると考えられるのです。
「近代的な理性」の批判以後の、この「理性」は、「全体化する」理性ではないが、全体的な「連関」についての「批判的理性」でなければならないでしょう。それは新しいタイプの「総合」を支える批判的理性として、とくに、認識と実践、科学と政治、知と権力といった、社会と知識とのトータルな関係を認識の視野に入れ続けるものでなければならないでしょう。また「普遍的な価値」(「民主主義」や「人間の権利」といった)をつねに「再発明」しつづける根拠でありつづけなければならないでしょう。
3.
<来るべきユマニスト>は、多言語的で多文化的な教養に依拠する能力の持ち主でなければならないでしょう。彼/彼女は、世界のクレオール化の担い手であり、人びとの多様でトランス・ナショナルな「公共性」の組織者でなければならないのです。「マルチ・リンガル」、「クレオール」、「マルチチュード」など、本書で見た世界の文化のネットワークを生み出す概念が、<来るべきユマニスト>のキーワードとなるのです。
4.
<きたるべきユマニスト>は、自然と人工、生命と数理、リアルとヴァーチャル、意味と計算、情報と記号、それぞれの「間」の関係づけを行いうる能力の持ち主でなければならないでしょう。「人間」を「創りうるもの」として「再認識」する知の担い手であり、人間を創りうる「ポスト・ヒューマンの知」から出発して<人間>を基礎づける「知」の主体でなければならないでしょう。このとき<人間>とは、認識の前提としての出発点ではなく、超越論的な源泉でもなく、むしろ到達点であり、「構成」されるべき「形象」として、再認識されることになるのです。
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